村野藤吾(明治24〜昭和59/1891〜1984)
      八幡市立図書館(現・北九州市立八幡図書館)の建築家。              村野藤吾は佐賀県東松浦郡満島村(現・佐賀県唐津市)に生まれました。              戸籍上の本名は「村野藤吉」であり、「藤吾」の名は彼の大学卒業前後に筆名のようなものとして使い始めたものであったそうです。              村野自身は生前認めていませんでしたが、明治建築界の中心的な建築家辰野金吾の「吾」が由来ではないかとの推測もあります。              村野は生まれると同時に実母から離されて乳母に預けられ、その家で尋常小学校3年生(12歳)の頃まで育てられました。              村野が10歳前後の頃に両親一家はなぜか村野を置いたまま満島を離れ、八幡製鉄所の近くへ移り住みます。              やがて八幡の実父母に引き取られ、ようやくそこで初めて両親と共に生活をすることになりました。              明治38(1905)年福岡県立小倉工業学校入学、明治43(1910)年15歳の時に卒業。それと同時に両親の希望通り八幡製鉄所に入社。              父親を説得してまもなく上京、大正3(1914)年早稲田大学の高等予科(理工科)に入学。村野は予科で電気を専攻しようと考えて              いましたが、まさにその年に完成した辰野金吾の建築作品「東京駅」等に触れ、建築科に移ることを強く望むようになりました。              昭和6(1931)年40歳から建築作品を発表。世界的建築家ブルーノ・タウトが絶賛した森五商店東京本社、大阪そごう百貨店。              世界平和記念聖堂、大阪新歌舞伎座等著名な建築作品を残しました。              北九州市内に現存する村野の建築作品は、八幡市立図書館(現・北九州市立八幡図書館)、八幡中央公民館(現・八幡市民会館)、              北九州八幡信用金庫本店(現・福岡ひびき信用金庫本店)。              小倉市民会館(小倉中央公民館)は平成15(2003)年に解体し、跡地は芝生広場になっています。              八幡市立図書館(現・北九州市立八幡図書館)、八幡市民会館、北九州八幡信用金庫本店(現・福岡ひびき信用金庫)は隣接して              いますが、この3つの作品は共通する造形が見られません。              村野らしい一品主義的な造形と作風です。              村野は自身の作風についてこう語っています。              「私は工業学校で機械を勉強していました。兵隊にゆくまでは、八幡製鉄所に勤めていたのです。この八幡の影響というのは、人にも              いわれ自分でもそう思うのですが、かなり強かったようです。私のシルバーグレイというか、ちょっとブライトでない色調。これは              やはり八幡の煙の多い空、それから鉄、あの感じです。もっと洗練すれば『渋い』と言うことになる。これは一生私に影響したのです。」
   参考文献
      『村野藤吾の建築 昭和・戦前』 長谷川尭著/鹿島出版会/2011       『村野藤吾建築設計図展カタログ7』 竹内次男監修/京都工芸繊維大学工芸資料館/2005       『北九州地域における戦前の建築と戦後復興の建築活動に関する研究』 尾道建二執筆/北九州産業技術保存継承センター/2010       『海峡の風』 轟良子文/北九州市芸術文化振興財団/2009       『郷土の先達 福岡県』 一般社団法人東京福岡県人会「郷土の先達」上梓特別委員会編集/東京福岡県人会/2011