みずかみかずよ(昭和10〜昭和63/1935〜1988) | |||||
詩人・児童文学作家。本名は「水上多世」。
みずかみかずよは1935(昭和10)年、福岡県八幡市尾倉(現・北九州市八幡東区)に生まれました。
7歳で両親と死別し、大阪府に住む親戚の元に預けられます。
1945(昭和20)年には兄の復員により八幡での生活へ戻り、1954(昭和29)年に福岡県立八幡中央高校を卒業。
卒業後は兄の経営する私立尾倉幼稚園に勤務のかたわら童話や詩をつくり始めました。
1958(昭和33)年、児童文学誌「小さい旗」へ参加し、例会で水上平吉と知り合い同年結婚。その後、一男三女を設けます。
結婚前に夫にもらったラブレターは「わたしの生いたちからくる人間不信へつながる不安感みたいなものがすっきり洗い流されるもの」だったとかずよは語っています。
1967(昭和42)年、夫平吉が数年の転勤後本社勤務となり北九州市八幡東区尾倉に落ち着きます。
1968(昭和43)年には6年近く休刊していた「小さい旗」を復刊、以後夫と共に同人活動の中心となって運営します。
児童文学者・椋鳩十からの「あなたの詩はりんりんと胸をうちます」との言葉に励まされ、1977(昭和52)年に少年詩集(第一詩集)『馬でかければ』を出版。
それを皮切りに次々と作品が本になります。
また、1980(昭和55)年には<あかいカーテン>が小学校国語教科書に掲載。以後、<ふきのとう><きんのストロー><つきよ>など7詩がこれに続きました。
1981(昭和56)年、夫とともに北九州市民文化賞(文学的領域)を受賞。
その3年後、1984(昭和59)年頃からかずよは身体の不調を訴えるようになったといいます。
闘病の末1988年(昭和63)年、53歳にて永眠。
同年、病との闘いの日々を綴った短歌が『歌集 生かされて――外科病棟201号室より』として出版されました。
現在ではふるさと八幡東区尾倉の小伊藤山公園に、教科書にも採用された<ふきのとう>の句碑が設置されています。
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